結論: 「痴漢と湿度と」
四時間ほどふと考えてみた。
私は、男性なのでどっちよりの発言といわれれば
男としての意見ですね。
女性(女の子含む)が痴漢に遭う
ことを本人から伝えられるとき
大抵、冬によく言われる。
私は、「冬、とても人肌が恋しい」
よく、言葉にする
「冬は、生物にとって生活に適してない、だから乗り切るためには、ひとの温もりだろ?」
なんて口癖になっている。
だって実際問題として寒いじゃないですか?
-過去の数値-
戦後以降の検挙率ではなく、総被害は、縮小されている。
電車の中で神経を減らしているのは、いつでも
まっとうに生きている男である。
電車の中で泣きたく、怖く、悔しいのは、いつでも
まっとうに生きたい女である。
私は、よくわからないが慈善活動は、「偽善」かもしれない、
それでも「善」だと言いたいように
冤罪でも罪として扱われる。
それで
被害届けを出さなくても
猥褻関連じゃなく
すべての事件が縮小、減少してるのは、
間違いなく
日本の進化、
本能と理性と
文化と平和を育てたからじゃないかなって思いついたんです。
なんで痴漢と湿気が関係するの?
ってことなんですけど
昔から、湿気と日本文化は、密接な関係を持つ。
僕らは、嫌々(中には、嬉しそうに)ながらも
受容的に湿度と共に生活をしてきたではないですか?
ex)
従来は、日本の家は木と草と紙で作られる(木造建築)。
畳、障子、襖というのが典型的であり、
暑さと湿気を防ぐ通気性を第一に考えた造りである。
焼きおにぎりは病原菌も防ぐことにつながり、
日本人の風呂好きは、蒸し暑さを拭うことで身も心も快適さを味わう
湿度には、人間の温度を伝えてくれる、見えないけど見えるものだと思う。
「KY:空気が読めない」
日本人は、確かな湿度を感じ取っている確定情報だと私は、伝えたい。
アミューズメント(遊び場)のおいて
若者よりも社会人のほうがタチが悪いってくらい
おおはしゃぎします。
遊ぶときは、遊ぶ
飲むときは飲む
そうでないと
人の本音も引き出すことは出来ない。
現代を生き抜く社会人の共通することは、
「仕事を遊び場に持ち寄らない」
切り替えがとても上手いんですよね。
最初にも書きましたが
「実際、冬は寒い!」
ひとのぬくもり無くして乗り切れないって
マジで笑
仮に、私の視界にいっさいの知り合いが目でも想う事でも確認できずに
適度な温度と湿度がなかったら
理性に抑圧されて弾けたら
って想像するだけで
人肌を求めるでしょうね。
100歩譲って痴漢を私がするとして
(見知らぬ)人の体温に触れたい
触れる
でも
繰り返すでしょう。
なぜなら
そのやわ肌には
体温も
ぬくもりも
情も
気持ちも
すべては、
その者が
私のため(だけ)に向けてくれるものではないからである。
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